重要文化財
三宝院殿堂
純浄観
桃山 慶長3 1598
桁行七間
梁間四間
一重
入母屋造
茅葺
庇こけら葺
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太閤の 眼に映る 四季の色
純浄観は、豊臣秀吉が「醍醐の花見」のために山あいに建てた建物で、のちに三宝院の敷地内へ移されました。
桃山時代の住居建築で、庭園に面した静かな佇まいが特徴です。


建物は、一重入母屋造、茅葺の屋根に、薄い木の板を重ねた屋根材を用いた柿葺の庇を備え、桃山建築の風格を伝えています。



内部には、1989年に浜田泰介が描いた桜やカエデの襖絵が飾られており、訪れる人に四季の趣を感じさせ、やすらぎと余韻を与える空間です。




庇
切妻造の桁側に出入口を設け、雨除けなどを兼ねた庇を掛けたもの。
杮葺
屋根葺の一種。杮板を竹釘で打ち付け、軒付の部分は厚めの板を用いる。材は、杉・檜・椹(さわら)などの薄板を使用。

茅葺
ススキやヨシなどを束ねて厚く葺く日本の伝統的屋根技法。優れた断熱・通気性を持ち、農村や山間部で広く用いられた。

入母屋造
母屋を切妻造とし、その四方に廂を葺き下ろして一つの屋根としたもの。

一重
外観において屋根が一層に見える建築様式。
浜田泰介
現代日本画家。寺社への襖絵・障壁画制作に定評があり「平成の襖絵師」と称される。
醍醐の花見
慶長3年(1598)、豊臣秀吉が京都・醍醐寺で催した壮麗な花見の宴。家族や家臣、公家ら1300人以上を招待した。
秀吉はこのために、醍醐寺三宝院の庭園整備を命じ、700本以上の桜を移植、さらに女性たちには華やかな衣装替えを3度もさせたと伝わる。
これは政治的権威と文化の粋を示す儀式であり、桃山文化を代表する象徴的な行事である。
豊臣秀吉
安土桃山時代の武将。はじめ織田信長に仕え、天正10年(1582)の本能寺の変により信長が亡くなると、いち早く後継者として名乗りを上げ、敵対勢力を破り天下を統一した。天正11年(1583)からは覇者にふさわしい五層八重の天守閣をもつ大阪城の建築に着手した。豊太閤と呼ばれた彼の時代は、茶の湯や狩野派の絵画に代表される豪華絢爛な桃山文化が開花した。
三井寺との関係は、おおむね良好であったが、晩年を迎えた文禄4年(1595)、突如として三井寺に闕所令を下した。三井寺は、慶長3年(1598)8月の彼の死後、秀吉の正妻・北政所のもとで再興されることになる。

桃山時代
織田信長・豊臣秀吉による天下統一期。伏見桃山城にちなんで名付けられ、検地・刀狩などで支配体制が整備された。1573〜1603。
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