重要文化財
弥勒菩薩坐像
鎌倉 建久三年 1192
木造 金泥塗り・切金
金泥塗り
切金
像高 112.0cm
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快慶の 精緻極まる 弥勒仏
三宝院本堂の本尊・弥勒菩薩坐像は、鎌倉時代の仏師・快慶によって建久3年(1192)に造立されました。
後白河上皇の追善供養のため、醍醐寺座主・勝賢僧正が発願したと伝えられています。



如来に倣い、袈裟を肩から掛ける姿で、腹前で定印を結び、五輪塔を捧げる姿が特徴です。

髻の内部には水晶製の五輪塔が納められ、そこに仏舎利が奉安されています。
ヒノキ材による寄木造で、眼には玉眼を嵌め込んでいます。
全身を金泥で包んでおり、衣には切金文様が施されています。




端正な顔立ちと清らかなまなざし、引き締まった体つき、流麗な衣文が、日本を代表する仏師・快慶の卓越した造形力を余すところなく伝えています。
快慶初期の傑作である本像は、精緻な技と篤い信仰の結晶として本堂の主尊に据えられ、三宝院における宗教精神と美の象徴といえる存在です。


切金
細く裁断した金箔で文様を描く伝統技法。仏像や仏画の荘厳に用いられる。

金泥
金粉を溶いた絵具。仏教経典や仏画の荘厳に用いられる伝統的装飾技法。
玉眼
仏像などの眼に水晶やガラス玉などをはめ込んだもの。また、その技法。

寄木造
複数の木材を組み合わせて像の頭部や体幹部を造る木彫の技法。内部をくり抜いて重量を減らし、少ない木材で大きな像が造れるなどの利点がある。日本独自の技法で、平安時代中期から後期にかけて完成された
仏舎利
仏陀の遺骨のことを指し、舎利を供養する習慣から舎利信仰に発展。日本伝来後も仏塔に舎利を祀る舎利信仰が盛んとなり、五重塔や三重塔などが建立された。
髻
頭頂部が盛り上がっていて、智恵がつまっている様。
五輪塔
仏塔の一つ。五段の石を用い、下から地・水・火・風・空を表す。地輪は四角、水輪は壺形か球形、火輪は方形の笠、風輪は椀形、空輪は宝珠形を重ねた塔。

袈裟
仏教僧が着用する法衣。布を継ぎ合わせた長方形の形をとる。
勝賢
平安時代後期の真言宗の僧。醍醐寺18・20・22世座主。東寺二長者・東大寺別当・東大寺東南院院主などを歴任。1138-1196。
上皇
天皇が譲位してその位を後継者に譲った後の尊称。
後白河
後白河(1127〜1192)は平安時代末期の第77天皇であり、退位後は約30年間にわたって院政を行なった。出家して法皇となり、源平の争いにおいても、重要な役割を果たした。
弥勒菩薩
釈迦牟尼仏に次いで仏になると約束された菩薩。兜率天に住し、釈尊入滅後56億7千万年の後この世に下生して、竜華三会の説法によって釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく済度するという未来仏。
快慶
生没年不明。鎌倉時代初期に活躍した慶派の仏師。運慶とともに鎌倉彫刻の新様式の完成に重要な役割を果たした人物として並び称されてきた。
鎌倉時代
源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから1333年(元弘3)北条高時の滅亡に至るまで約150年間の称。
座主
日本の仏教寺院における高位の僧職またはその寺院の最高指導者の称号。特に天台宗や真言宗、華厳宗などにおいて重要な意味を持つ。
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