特別史跡・名勝
三宝院庭園
桃山時代
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太閤の 夢の続きか 藤戸石 時を忘れる 桃山の庭
三宝院庭園は、桃山時代を代表する名園で、慶長3(1598)、豊臣秀吉が自ら縄張を行い、3人の庭奉行に命じて改修させたと伝えられます。

池泉回遊式庭園で、池を中心に3つの中島、9つの橋、築山や滝が巧みに配置され、名石「藤戸石」も据えられています。



杉や椎、樫などの巨樹が繁り、気品と力強さが共存する構成美を見せています。



その後、醍醐寺座主・義演によって整備が加えられ、現在の景観が整えられました。
表書院や奥宸殿からの眺めも美しく、建築と自然が調和した、日本庭園史上、屈指の名園です。



義演
安土桃山から江戸初期にかけての真言宗の僧。醍醐寺三宝院門跡。豊臣秀吉の信任を受け「醍醐の花見」を企画運営し、三宝院庭園を整備した。寺領復興や伽藍再建に尽力し、徳川家康・後陽成天皇・後水尾天皇とも交友を持った。醍醐寺の威勢を再興した名僧。1558〜1626。

藤戸石
備前国藤戸(現在の岡山県倉敷市藤戸)にあったとされる石。庭園の象徴的存在で、天下の名石の一つと称されている。

築山
庭園内に土で築かれた人工の山。一般に、池と組み合わせて庭園の重要な構成要素となる。
橋

中島
園池の中に設けられる島。半島を示す出島とはっきり区別するための用語。

池泉回遊式庭園
江戸時代に発達した日本庭園の一様式。池とその周囲を巡る園路を中心に作庭するもの。
庭奉行
武家や大名家、あるいは幕府の職制の一つ。屋敷や城郭内の庭園の管理・整備・改修を担当した役職。
縄張
建築や城郭などの構造物を造営する際に、敷地の形状や機能を考慮して配置計画を定めること、またその図面や構成を指す用語。
安土桃山時代
時代区分の一つ。織田信長が足利義昭を奉じて入京した1568年から豊臣秀吉が亡くなった1598年、または徳川家康が征夷大将軍に任じられ幕府を開いた1603年までを指す。
豊臣秀吉
安土桃山時代の武将。はじめ織田信長に仕え、天正10年(1582)の本能寺の変により信長が亡くなると、いち早く後継者として名乗りを上げ、敵対勢力を破り天下を統一した。天正11年(1583)からは覇者にふさわしい五層八重の天守閣をもつ大阪城の建築に着手した。豊太閤と呼ばれた彼の時代は、茶の湯や狩野派の絵画に代表される豪華絢爛な桃山文化が開花した。
三井寺との関係は、おおむね良好であったが、晩年を迎えた文禄4年(1595)、突如として三井寺に闕所令を下した。三井寺は、慶長3年(1598)8月の彼の死後、秀吉の正妻・北政所のもとで再興されることになる。

座主
日本の仏教寺院における高位の僧職またはその寺院の最高指導者の称号。特に天台宗や真言宗、華厳宗などにおいて重要な意味を持つ。
桃山時代
織田信長・豊臣秀吉による天下統一期。伏見桃山城にちなんで名付けられ、検地・刀狩などで支配体制が整備された。1573〜1603。
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